山口義人 プロフィール
こんにちは、はじめまして
ふるさとを離れて遠方で暮らすご家族に代わって
ふるさと(ご実家・ご両親)のお困り事・ご心配事を解決する
【便利屋】暮らしなんでもお助け隊 福岡鳥飼店 代表 山口 義人と申します。
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私たち【便利屋】暮らしなんでもお助け隊 福岡鳥飼店の使命は、
遠方で暮らすご家族様と、ふるさと(ご実家・ご両親)の
❝かけはし❞になることです。
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なぜ遠方で暮らすご家族様と、ふるさと(ご実家・ご両親)の❝かけはし”になろうと思ったのか?
私自身、ふるさとを離れ遠方で暮らし、
ふるさと(実家・両親)のことで困った経験があるからです。
私がふるさと(実家・両親)のことで困った時に、
私は、私の代わりにふるさとの問題を解決してくれる
信頼・安心できる業者を見つけることができませんでした。
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だから、私と同じように
ふるさと(ご実家・ご両親)のことで困っているご家族様の少しでもお役に立ちたい、少しでも負担を減らしたい、
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その思いから、
ふるさとを離れて遠方で暮らすご家族に代わって
ご実家・ご両親に関するお困り事を解決する
便利屋なんでもお助け隊の仕事をスタートしました。
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山口義人 略歴
1967年(昭42) 九州 福岡生れ。
1980年(昭55) 春日西小学校卒。
1983年(昭58) 春日西中学校卒。
1986年(昭61) 県立筑紫高等学校卒。
1991年(平3) 福岡大学商学部商学科卒。
大学在学中に、宅地建物取引主任者資格(宅建免許)を取得しました。
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私は福岡にてさまざまな営業経験を経て、
1994年(平6) 東京に上京。
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1996年(平8) 便利屋の登竜門 元祖便利屋 右近勝吉師の下で便利屋修業し、
1997年(平9) 右近師より便利屋として免許皆伝され、
1997年(平9)東京都狛江市にて便利屋を開業しました。
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私は、便利屋の仕事の中でも、特にお掃除(ハウスクリーニング)を特化して行いました。
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2005年(平17)春 福岡の父が脳梗塞とガンで総合病院に入院、母も精神的に弱り、
一人息子である私は、生まれ故郷 九州福岡に帰省することを決意。
2005年(平17)夏 家族と共に福岡に帰省。
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2005年(平17)秋 東京で行ってきた便利屋の仕事を福岡で再スタートしました。
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東京で暮らし10年が過ぎ、福岡の実家で問題発生
1994年(平6) 、私はふるさとの九州福岡を離れ東京に上京。
東京で暮らし10年が過ぎ、
便利屋の仕事も充実し、生活も安定した
2005年(平17) 福岡の実家で問題が発生しました。
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その当時、実家の問題を私の代わりに解決してくれる人が見つからず、
2005年(平17) やむなく東京から福岡へ妻子と共に帰省。
実家、両親に関する問題を自ら解決することに。
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仕事の引継ぎ、引っ越しの準備、新生活のための準備を行いつつ、
実家・両親の問題を並行して解決するのは、
肉体的にも精神的にもかなり大変な作業でした。
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私はその当時、まだ37歳でしたので、なんとかやれましたが、
これがもし50代、60代だったとしたならば、
果たしてやりきれたかどうか、考えただけでもゾッとします。
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私と同じように、
ふるさと福岡を離れて遠方で暮らすご家族様が、
ご実家、ご両親に関するお困り事を解決するため、
ふるさとに帰省しなくても済むように、
色々たいへんな思いをしなくても済むように、
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ふるさと(ご実家・ご両親)のことを任せられる
【便利屋】暮らしなんでもお助け隊 福岡鳥飼店を福岡にてスタートしました。
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信頼・安心して任せていただくために
私は、福岡を離れ遠方で暮らすご家族に信頼され、安心して
ご実家のこと、ご両親のことを任せていただくために、
信頼・安心できる会社の証として、
2005年(平17) 福岡で「便利屋なんでもお助け隊」の仕事を開始した時から、
当社に作業を依頼されたお客様から手書きの生の声を頂き、
お客様からの評価を重視しました。
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福岡で「便利屋なんでもお助け隊」の仕事を行ない今年で15年になります。
おかげさまで信頼・安心できる会社の証として、
福岡で1番!現在もなお、お客様の声を手書きでいただき続けています。
さらに、
※お客様の笑顔の写真も福岡で1番!現在もなお頂き続けています。
どうして、福岡ですぐに「便利屋 」の仕事を行うことができたのか?
私は、東京で「便利屋」の仕事を8年間行ってきたからです。
片付け、お掃除、庭の手入れ、壊れた個所の修理などの仕事を、私は東京で「便利屋」として8年間行ってきました。
私は、「便利屋」の仕事を東京で8年間やってきたからこそ、
福岡にて「便利屋」の業務をすぐに行うことができたのです。
東京と福岡、仕事内容に違いは?
どちらも依頼される仕事内容には変わりはありません。
ただし、大きく違う点が1つだけあります。
大きく違った点とは、仕事を依頼するお客様です。
私が東京で「便利屋」を開業した当時、依頼されるお客様の8割以上が
70代~80代高齢のお父さん、お母さんご本人でした。
しかし、福岡にて「便利屋」を再開した時、依頼されるお客様の8割以上が
70代~80代高齢のお父さん、お母さんの息子さん、娘さん、ご親族さんに変わったのです。
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理由ははっきりしています。
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東京の宣伝広告はチラシでしたが、福岡で便利屋を再開した際、ホームページを作ってインターネット広告に切り替えたからです。
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なぜチラシからインターネットへ変えたのか?
私が経験した困った状況が大きく関係しています。
私が東京で便利屋の仕事をしていた時に、
福岡の実家、両親の問題解決を、同業者である福岡の便利屋さんにお願いしようかと考えました。
しかしその当時、東京にいながら、福岡の便利屋さんの詳しい情報を得ることができませんでした。
福岡にて本当に信頼、安心できる便利屋さんが誰なのかが分からなかったのです。
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便利屋同業者でさえ分からないのですから、
便利屋のことをまったく知らないご家族様であれば
福岡の便利屋でどこがよいのか?
どこが信頼、安心できる業者なのか?
なおさら分からないのではないかと思いました。
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チラシでは、ご実家やご両親のことでお困りの
ふるさとを離れ遠方で暮らすご家族様にメッセージが届きません。
だから、便利屋のホームページを作って、福岡を離れて遠方に暮らすご家族様に向けてインターネットで宣伝広告することにしたのです。
70代~80代高齢者の8割以上は、インターネットを見ません。
現在、福岡にて私の会社はチラシにて
70代~80代高齢のお父さん、お母さん向けに
「便利屋」の仕事を宣伝広告しています。
ですので、福岡でも現在、「便利屋」の仕事を70代~80代高齢のお父さん、お母さんから依頼されることが増えました。
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東京で8年間行ってきた便利屋とは?
私は大学卒業後、福岡で営業の仕事を行っていました。
仕事の関係上、
1994年(平6) 東京に上京。
上京後も、営業の仕事を2年間行っていました。
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1996年(平8) 脱サラし、便利屋の登竜門 元祖便利屋 右近勝吉師の下で便利屋修業。
1997年(平9) 右近師より便利屋として免許皆伝。
1997年(平9)東京都狛江市にて便利屋を開業しました。
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私は、便利屋の仕事の中でも、特にお掃除(ハウスクリーニング)を特化して行いました。
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「便利屋」と「お掃除(ハウスクリーニング)」の仕事を東京都狛江市で、
1997年(平成9年)~2005年(平成17年)まで8年間行ったのです。
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実のところ、8年間ずっと半径1キロメートルのごく限られた地域でチラシを配り、チラシから依頼が来たお客様宅で仕事を行っていました。
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私の顧客のほとんどは、近所に住んでいる人たち(ご近所さん)です。
この1キロメートル、非常に狭い範囲の中でも十分に仕事があり、実際に私はお家に関する様々な依頼を行っていました。
この狛江市の1km範囲内の極狭い地域で、お客様の8割以上が70代~80代の高齢者の方でした。
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チラシである程度固定客がついた後は、お客様宅を定期的にお伺いし、
何かご心配事がないか、お困り事がないかをお聞きする
「御用聞き」として仕事を行うように。
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高齢のお客様宅にお伺いし、
お困りの事があれば、私が代わりに問題解決するというような感じです。
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「御用聞き」として仕事を行うようになってからは、
仕事が途切れることなく次々と来るようになりました。
仕事を依頼された70代~80代のお客様からは
「山口さんが色々してくれるので、安心して暮らせるわ。頼りにしているよ!いつもありがとうね!感謝しているよ。」
と言って頂いていました。
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信頼され、頼りにされて、とにかく、お家に関することであれば、あらとあらゆる仕事の依頼が来ました。
直接、お客様ご本人から喜びの声、感謝の声を頂け、様々な仕事を任せられていましたので、
「私がやっている仕事は人様にお役に立てているんだ」と実感でき、非常にやりがいを感じていました。
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作業の終わりには、お客様とお茶をいただきながら世間話を。
近所を歩いていれば、ご近所さんであるお客様とばったり会って立ち話。
時には、「〇〇さん、最近会っていないけど元気にしてるかなぁ?」っと気になって、ご近所なのでお客様のお宅におじゃますることも。
家におじゃますれば、お茶を勧められて、また世間話を。
そんな世間話や立ち話中に
「あっ!そういえば、◯◯の調子が悪いのよ!ちょっと見てくれない。」と仕事の依頼。
このようなやりとりが日常茶飯事でした。
そのうち、70代~80代のお客様の息子様、娘様、お孫様からも仕事のご依頼をされるように。
さらに、お客様のお友達やご近所さんからのご紹介、口コミの輪も広がっていったのです。
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お客様からのつながりから、
狛江市からそれほど遠くない成城学園に住まれている芸能人のお宅のお仕事も依頼されるようになりました。
お客様との交流が密になり親しくなるにつれ、
一緒に旅行に行ったり(お客様みなさん高齢なので、私が運転手役として)、
食事に一緒に行ったり、能や芝居、演劇を一緒に見にくような親しいお客様が、
仕事を通して徐々に増えていきました。
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●高田さん(70代 女性 仮名)とは、よく夕食や映画、演劇をご一緒に。
●丸山さん(50代 仮名)ご夫婦は、昼食夕食をご一緒に。
●米村さん(70代 仮名)は、私にとって東京のお母さん的な存在です。
作業の度に昼食を用意していただき、一緒に食事を。
いつもたくさん元気を頂いていました。
●戦争体験など毎回、貴重なお話しを教えて頂いた大城さん(80代 女性 仮名)
●お伺いする度に、経営アドバイスして頂いた東京の父親的な存在の立花さん(70代 男性 現役で経営顧問をされていました 仮名)
その他まだまだたくさんのお客様と親しくしていただきました。
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開業し3年後にはチラシで宣伝広告しなくても、仕事依頼が途切れることがなくなりました。
毎日仕事に追われ、1つ1つの仕事をこなすことに追われ、毎日忙しく、充実した日々を送っていました。
あっと言う間に8年が過ぎた感じです。
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私は、「今の仕事を、この町で一生涯、続けていくのだろうなぁ」とばくぜんとですが思っていました。
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なぜ福岡に帰省?
2005年(平17)の春、
私のふるさと九州福岡の実家から1本の電話があったのです。
母からでした。
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「私の父が脳梗塞で入院した」とのこと。
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精密検査したところ、脳梗塞以外に大腸ガンも見つかり緊急入院で手術を。
幸い、脳梗塞も大腸ガンも早期発見で大事には至りませんでした。
しかしその後、すぐに肝臓ガンが見つかり再手術。
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たて続けに手術し、体力的にも精神的にもかなりダメージを受けた父は「もうオレはダメだ」と自暴自棄に。
父を看病していた母は、父のことを心配し注意しても、まったく言うことを聞かない父は、毎晩のように飲み歩き午前様。
父の看病にほとほと疲れ果て、母は精神的に弱り不眠症と幻覚症状に悩まされていたようです。
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まったくそんなことはなかったですが、
母の私物を父が取ったと言っては、それが引き金となり、父母間で口論、ケガなどトラブルが多発。
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トラブルが発生する度に、一人息子である私が、両親の仲裁役で、東京と福岡の間を往復。
私が実家に帰るとトラブルは収まり、私が東京に戻ると再びトラブルが発生。
父母のトラブルで月に4~5回 東京福岡間を往復しました。
ひどい時は福岡から東京に帰った3日後に、再び東京から福岡へ日帰りで往復ということも。
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東京には、妻と生まれたばかりの0才児の娘がいるので、福岡にいる時は妻子が心配。
東京にいる時は、病んだ父親と母親が心配。
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この時期、仕事がかなりハードでしたので精神的にも体力的にもギリギリの状態でした。
度重なるトラブルの仲裁が続いたので、私はほとほと疲れ果て、
東京福岡間を月に何度も往復することにも限界を感じました。
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私は一人っ子。
いつかは親の面倒を看なければいけないとは幼い時からずっと覚悟はしていましたが、今まさにその時が来たと思いました。
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一人息子の責務として、私が福岡に帰省し、しっかり両親の面倒を看なければと決意。
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2005年(平成17年)の夏、妻とその当時0才だった娘と一緒に福岡へ帰省したのです。
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福岡の親戚に頼れなかったのか?
実は、私が両親のトラブルが相次いだ時に、自分一人で重荷を背負うのがしんどく、親戚を頼りました。
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ずっと疎遠な親戚だったので、困った時だけお願いするのは厚かましいのではないかとずいぶん悩みました。
しかし、私一人ではもう対処するのに限界でしたので、悩んだ末に親戚に電話で相談したのです。
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最初に電話したのが、同じ福岡に住む母の兄、私にとって叔父でした。
叔父は、親戚一同の中で、親戚誰もが一番頼りにしていた相談役です。
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「私の父が私の母の私物を取っていないことを、叔父さんからも言ってほしい」とお願いしました。
しかし、叔父は母の兄です。
自分の可愛い妹が言っていることが100%正しく、私の父と私が悪いと決めつけていたのです。
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「お前の父親が悪い、それを黙って正さず、母をおいて東京に行ったお前が一番悪い」と怒鳴られました。
そのような言葉が返ってくるとはまったく予想もしていなかったので、私は非常にショックを受けました。
叔父の言葉が私の心に深くつき刺さり、
叔父の言葉が引き金となり、私は福岡に帰省することを決意したのです。
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福岡に帰省するにしても、
私の実家は当時、父母とも精神的に弱っていた為、ゴミ屋敷化していました。
とても、実家で同居することは出来ませんでした。
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しかたないので、仮の住まいということで
実家 最寄りのUR(公団)をインターネットで探し、ネットで予約。
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最後は、現地確認と現地で契約書にサインするのみに。
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現地確認と契約書にサインだけでしたので、
わざわざそのためだけに私が福岡に帰るのも時間もお金もかかります。
ですから、
ずいぶんと疎遠になっていた福岡の従兄に、疎遠だったことへのお詫びと、
URの現地確認と契約書にサインするのを私の代わりにやってもらえないかとお願いしました。
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しかし、従兄から私のお願いは断られました。
結局、私が日帰りで東京福岡間を往復し、URの現地確認と契約書にサインしたのです。
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私は心に余裕がなく切羽詰まっていました。
福岡に住む親戚に助けてもらいたかったのです。
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今まで疎遠だったのに、困った時だけ頼るのは厚かましいとは重々分かっていました。
しかし、なんとかお願いできるのではないかと期待していた親戚二人に断られ、
かなりショックでした。
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親戚二人に断られたその時に、もう、私一人でやるしかないと思ったのです。
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もし、福岡で両親のことを任せられる信頼・安心してお願いできる業者を知っていたなら、状況はずいぶん違ったのではないでしょうか。
その当時、親戚にも頼れず、福岡で信用・安心できる会社も知らず、
実家の問題は、私が解決するしかないと覚悟したのです。
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このような経験をしたからこそ、
私と同じように、福岡を離れて遠方で暮らすご家族様が、ご実家、ご両親のことで困ったときに、
私と同じような経験してもらいたくないと思ったからこそ、
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ご家族様の立場に立って誠心誠意 作業を行う
信頼・安心できる会社に私の会社がなろう、絶対にそうなりたいと思ったのです。
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ゴミ屋敷となっていた実家を片付ける
私が東京から福岡へ帰省した当初、
私は実家で両親と同居し、両親の面倒を看るつもりでした。
しかしその当時、実家はそのような状態ではとてもなかったのです。
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恥ずかしい話ですが、父母ともに精神的に病んでいましたので、家の中はゴミ屋敷、庭も散らかり放題すごいことになっていました。
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とりあえず私たち家族はUR(公団)に仮住まいして、実家の片付けを行うことに。
最終的には、2tトラック4台分 合計8tの実家のゴミを片付けました。
実家を片付け、リフォームし、きれいに掃除して、なんとか私と妻、娘が実家の2階に住めるように。
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私にとって、お家の片付けは東京でいつもやっていた仕事なので得意分野です。
自分の実家の片付けぐらい私一人で十分だと思って自分一人で作業をはじめました。
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しかし、自分の親の荷物を片付けるということが想像以上に大変だと言うことを実際に作業して思い知らされたのです。
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「なんで部屋をこんな風になるまでほっといたのだろう?」
「捨てればいいのに、なんでこんなものをずっと大事に取っているのだろう?」
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作業中ずっとゴミ屋敷にした親に対してフツフツと怒りの思いが湧き上がりました。
作業中、ずっと怒りが収まらず、その怒りに私自身が疲れ、途中でやる気がなくなり、作業することにストレスを感じたのです。
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今まで相当な数のお客様宅の片付けを行ってきたのに、こんな気持ちになったのは初めての経験です。
片付けのプロでさえ、自分の実家の片付けに大きな負担を感じたわけですから、
片付けに慣れていないご家族様はなおさらだと思いました。
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ご実家の片付けは、想像以上に肉体的、精神的に負担が大きな作業です。
ご実家を一人で無理して片付けたことで具合が悪くなり、病院通いしているという話しはよく聞きます。
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ご実家の片付けを途中まで行って、これ以上無理だと判断し、実家片づけを断念されたお客様は次のようにおっしゃいます。
「片付ける労力、時間、交通費、片付け費用考えると、必要な物だけ取って、後はぜんぶ業者に最初から頼んでおけば良かった!」と。
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そうなんです。
ご家族でご実家を片付けるということは、業者にお金を払わず済むかもしれませんが、
ご自身の交通費、昼食代、宿泊費、無理して作業し体調をこわし病院への通院費など、
目に見えない時間とお金が想像以上に多く使います。
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「自分で行う」か、「業者に依頼する」か、
トータルで計算すると、料金的には業者に任せたほうが絶対に安いのではないでしょうか。
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時間的にも、業者に依頼すれば、数日で作業は完了します。
一方、ご家族ご自身で片付け、数か月、何年かかったというお話しもよく聞きます。
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父にもし何かあれば母を福岡から東京へ呼ぶ? 母から意外な言葉が、、、
話しは、私が東京で仕事が軌道に乗り、
一生涯、この東京都狛江市で暮らすのではないかと思っていた時にさかのぼります。
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福岡の父にもし何かあった時は、母を東京に呼べばいいと考えていました。
なぜなら、私の母が、私に次のような言葉をよく言っていたからです。
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「あなたが行くところに、私はどこでもついていくよ」と。
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そのように言っていた母に、
私の妻が妊娠し、子供が生まれる直前の1か月間、東京に来てもらい家事の手伝いをお願いしました。
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私の母は1か月間、東京で私と妻と一緒に暮らしましたが、
1か月が過ぎ、福岡に帰り際に母が言った言葉は、私が想像もしていなかった意外な言葉でした。
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「私は東京での生活はちょっとね、、、やっぱり福岡がいい」と。
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「あなたが行くところに、私はどこでもついていくよ」と言っていた母が、
東京でたった1ヶ月間暮らしただけで、すぐに福岡に帰りたがったのです。
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このように福岡に帰りたがった母のことを思い出す度に、
私は鮮明に記憶がよみがえるお客様がお一人います。
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同居したことをずっと後悔している東京都調布市の安田さん(70代 女性 仮名)
「私たちに一緒に同居しようと言ってくれた娘や娘のご主人にはたいへん感謝している。
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だから、娘や娘のご主人には絶対に言えない。
でも、
同居するんじゃなかった。
お父さんを連れてくるんじゃなかった。
それを今でもずっと後悔している。」と。
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競馬好きで毎日競馬場に通っていたご主人と一緒に安田さんは、娘夫婦と同居することに。
同居して、ご主人は競馬場から遠くなり、大好きな競馬を見ることが出来なくなったそうです。
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やることがなくなり、毎日ずっとテレビの前から離れず、テレビばかり見ていたそうです。
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それからほどなく、ご主人は認知症に。
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状況はどんどん悪くなり、夜、町を徘徊するように。
警察にもお願いし、家族みんなでご主人を探すこともよくあったそうです。
警察署から連絡があり、警察署に迎えに来た奥様を見て、「よぉ!」とニッコリ笑っていたご主人ですが、
最終的には、奥さんを見ても誰かも分かず、無表情で家に帰ったとのこと。
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「妻である私のことを忘れ、家族のことを忘れ、そのときが一番辛かった」と奥様は語られました。
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息子さん、娘さんがお父さん、お母さんと同居することは最大の親孝行だと思います。
素晴らしいことだと思います。
私も一人息子、ずっとそう思っていました。
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しかし、それはお父さん、お母さんが住み慣れたふるさとに
息子さん、娘さんが帰省し、ご一緒に同居するのであればという話しです。
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自分が住み慣れた街から全く知らない街へ
高齢のお父さん、お母さんを連れていくのは、ご両親の幸せとはかぎらないのです。
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ずっと住み慣れた、勝手のわかる、お友達がたくさんいるふるさとで元気な限り住んでいたい。
これがお父さんとお母さんの本心かもしれません。
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私たち便利屋なんでもお助け隊は、住み慣れた、勝手のわかる、お友達のたくさんいるふるさとで
お父さん、お母さんが元気に暮らせる、快適な暮らしができるように全力でフルサポートしています。
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遠方で暮らすご家族様とふるさと(ご実家・ご両親)の❝かけはし❞
になることが私たちの使命です。
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これからも、ふるさとを離れて遠方で暮らすご家族に代わって
ご実家・ご両親に関するお困り事を解決していきます。
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